戦争の齎したもの
コラム#14417(2024.8.24)
[重い雑談–議会制と民主制、など]
「ヘロドトスが指摘したように「戦争はすべてのものの父」なのだ。──
政府が戦争を始めるのではなく、戦争が政府をつくったのだ。
戦争は政治的な危機(その中には宗教、人種、文化等を要因とするものを含む)が引き起こすが、その戦争が議会制度、徴税機構、(戦費が税金だけでは賄えないので国債が発行され、その国債を引き受けるための)中央銀行(の創設)、(その国債を売買するための)債権市場(の創設、更には)、株式市場等の金融制度を生み出した。そして、これら金融制度が適切に機能するように法の支配が確立し、これら金融制度を適切に運営できる人材を養成する必要から教育制度が発達した。」(ニール・ファーガソンの本の要旨)(コラム#207)
コラム#15369(2025.12.13)
(3)大分岐の起点──アングロサクソン文明の成立
[巡幸王権(移動宮廷=Itinerant Kingship)]
⇒広義のアングロサクソン人、そしてその後裔たるイギリス人、の、ブルフや田舎における集住は、サセックス、そしてその後裔たるイギリス、における、耕戦の士からなる総力戦体制の構築に伴い、アングロサクソンのエリート層における、平時における反産業主義が、平時がそう長くはない休戦期でしかなくなったことに伴い、緩和されて、彼らがやや勤勉になり、かつまた、恒常的戦争状態下で必要十分な耕戦の士を確保するためには人口を減らすようなことは回避しなければならないというコンセンサス的意識が生じると共に食糧増産の必要性もまた認識されて牧畜から単当収量のより大きいところの作物栽培へのシフトが起こり、また、戦時においては戦闘員も非戦闘員も押しなべて集団生活を余儀なくされるところ、戦争の事実上の恒常化状態の下で、平時におけるものであった個人主義も平時の事実上の消滅に伴ってこれまたまた緩和せざるを得なくなり、その結果、ブルフと田舎の双方で集住化が進展することとなり、これらを背景として、当然、商工業もまた活発化した、ということだろう。
こうして、アングロサクソン社会成立の当初から個人主義/資本主義であったところのアングロサクソン/イギリスの経済は離陸を果し、主として、自前の日進月歩の科学技術力に依拠したところの、アングロサクソン/イギリスにおいて、当時の世界の他の全ての地域に比しての相対的高度経済成長が、始まったのだ。
私は、この離陸の時点で、私が言うところの、アングロサクソン文明が成立した、と、考えるに至っている。
経済の基盤が、片や農業、片や工業、という違い等に由来する成長率の違いこそあるけれど、これは、最初から人間主義/エージェンシー関係の重層構造であったところの日本において、(靖国神社史観に照らせば)1860年の桜田門外の変から始まったところの、日本の日蓮主義完遂戦争が、明治維新後に総力戦化し、主として借り物の科学技術力に依拠して、当時の世界の他の全ての地域に比しての相対的高度経済成長が始まったこと、と、軌を一にしている。
但し、両者が決定的に異なるのは、日本の総力戦は、その経済が離陸してから、1945年にわずか80年弱で終わってしまったのに対し、イギリスでは、総力戦が、9世紀から実に現在まで、1000年を優に超える間、続いたために、世界覇権国になる運びとなった──できそこないとはいえ、一応アングロサクソン(イギリス)の端くれたる米国に100年以上前に引き継がれた形ではあるが──のに対し、日本は、総力戦が先の大戦の終戦によって終わると、安全保障を米国にぶん投げてしまった結果戦争とは無縁になり、菊と刀のうちの刀に係るあらゆるものがが岸カルトの下で積極的に払拭されたことと相俟って、人々の間から総力戦メンタリティーどころか弥生性そのものが完全に失われしまう運びとなった結果、総力戦時代の慣性で経済高度成長が続いて世界第二の経済大国にまで上り詰めたものの、世界一になる寸前に成長が止まってしまった挙句、世界共通の少子化もこれあり、あろうことか、その後衰亡過程に入ってしまった、という点だ。(太田)