高度経済成長
コラム#14360(2024.7.27)
第一部 問題意識と私独特の用語
1 問題意識
(2)先の大戦で日本が勝利できたのはなぜか
……なお、経済成長と人口動態の観点から以上を補足しておこう。
実は、「軍民」中の「民」の相対的な被害の大きさの観点からさえ、日本は敗北したとは言えそうもないのだ。
まず、経済成長だが、* の「経済成長率の推移(日本の戦前及び戦後直後)」グラフを踏まえれば、大恐慌時の1929年のほぼゼロ成長から、しばらく低成長で助走し、1931年に満洲事変を敢行すると、経済ブロック化をものともせず、その2年後から高度経済成長が始まるも、1937年に日支戦争が開始されて戦争が本格化すると終戦に至るまで経済は長期低迷状態に陥り、1945年の終戦時とその翌年は更に大きく落ち込むけれど、その後、日本は、上記の高度経済成長基調に復帰し、戦後23年目の1968年に世界第二位の経済大国となり、その地位を40年間維持することになる。*
この戦後の高度経済成長は、満洲事変以降の、帝国陸軍が主導した総力戦体制の構築(コラム#2264、10367、10369、10371、10373、10377、10379)がもたらした戦前の高度経済成長を、その体制を基本的に維持したことによって、中断後、再開できた成果なのだ。
次に、人口だが、※ の「1899年(明治32年)から現在に至るまでの人口統計」を踏まえれば、1939年9月に、これも帝国陸軍主導で開始された「産めよ殖やせよ」運動(コラム#8426))* の成果で出生率が4を切っていた日本が、1940~1943年の間、4台を回復し、その状態を戦後の1947~1949年の間、再び回復したことで、2011年には、1億2808万人というピーク人口を達成できた(※)のだ。
コラム#10367(2019.2.10)
2 杉山元と日本型経済体制
(2)日本における経済成長計画の策定
このような日本型経済体制の構築によって、「日本は、欧米諸国が大恐慌以降の経済停滞に悩む中で、最も早く高度成長軌道に乗」ることとなった(前掲拙著235頁)ところ、その後、経済成長計画を策定させたのも杉山元だった、と見るべきなのです
(以下、既に太田コラムで取り上げ済みの部分もあるはずなのですが、当該コラムを「発見」できていません。)
どうしてか?
杉山元が参謀次長であったのは、1934年8月~1936年3月です* が、宮崎に日満財政経済研究会(宮崎機関)を設立させたのは、参謀本部から10万円、満鉄(松岡洋右総裁)から10万円の当座の運営資金を提供* させたところの、当時(事実上の参謀総長たる)参謀次長の杉山だった、と断定してよいからです(コラム#不明)。