中共の戦後日本再軍備慫慂
コラム#14762(2025.2.13)
⇒台湾に対して、特段、中共は軍事力で威嚇する必要など余りない上、核時代において、海洋によって隔てられているところの、しかも、米国と事実上の同盟関係にあるところの、台湾、を、軍事侵攻をして占領することなど、およそ不可能である(コラム#省略)以上は、それはあくまでも政治的な動きであって、その最大の狙いは、日本に、再軍備を促し、ひいては米国からの「独立」をもたらすところにある、というのが、かねてよりの私の見方である(コラム#省略)ことは、皆さん、先刻ご承知の通りです。(太田)
⇒日本が再軍備に乗出す──その徴憑は、集団的自衛権の全面行使を認める政府憲法解釈変更です──までは、表見的には台湾(や部分的にはベトナム)に志向するものも含めたところの、日本への軍事力を用いた威嚇を、次第にかつ着実に、中共はエスカレートさせていくことでしょう。(太田)
コラム#15247(2025.10.13)
中共は、なぜ反日映画を許すのですか?
……日本軍が、(その折を含む)捕虜の殺害はもとより、一般住民への暴行陵虐事件を南京で起こしたことも、また、731部隊が捕虜やスパイ以外の人も含む支那人等を生体実験で殺害したことも事実なんだから、しかも、一番最後の事例に至っては、当時の国民党軍も人民解放軍も(相互にも)やってないことだったんだから、こういったものを題材にした反日的映画を作られても我々は(事実の捏造や誇張は指摘できても)甘受せざるをえない、というのが大前提だ。
(更に註釈を加えれば、支那において、新兵訓練の一環に捕虜の銃剣による刺殺を組み込んだこと、や、一般人も強制的に慰安所で性奉仕させた、ことに類すること、は、国民党軍も人民解放軍も、日本軍に対して、また相互にも、やらなかった。)
但し、以上のうち、731部隊の話以外は、杉山元らの直接的関与の下で上からの命令で実施されたものであり、そのうち、捕虜の刺殺は訓練目的に資していた部分があるけれど、基本的には全て、杉山元らが提携し養成した中共の当局が、政権掌握後、日中がつるんでいることが分かって欧米における黄禍論が復活し日中をまとめて潰しに来ることを防止する目的で、中共が反日的に見える政策を適宜打ち出すための材料を提供する目的であえて実施させた、というのが私の見立てであるわけだ。(以上、コラム#省略。但し、付け加えた部分あり。なお、習近平は、これを、日本に再軍備を促すためにも使っている、とも、私は指摘してきた(コラム#省略)ところだ。)
問題は、731部隊の話だ。
「人体実験の被験者は主に捕虜やスパイ行為を行って拘束された朝鮮人、中国人、モンゴル人、米国人、ロシア人等で、「マルタ(丸太)」の隠語で呼称され、その中には一般市民、女性や子供まで含まれていたとされる(☆)。──
終戦時には、生存していた40-50人のマルタが証拠隠滅のために殺害されたとされる(★)。」* 中の、★は(あくまでも私見ながら)グレーゾーンだが、☆は完全にアウトだからだ。
希望的観測が入っているが、今のところの私の仮説は、石井四郎ではなく、北野政次がそれ(☆)をやらせたのではないか、というものだ。
北野は、1942年8月1日から1945年3月1日まで、石井に代わって731部隊長を務めているところ、* 彼は東大医卒で、京大医卒の石井* と違って、東大医の悪しき伝統を引きずっていたからだ、と。
東大医学部、というか、日本の西洋医学、の原点は、「天然痘予防接種のために蘭学者82人が協力して安政5年(1858年)に江戸に設けた「お玉ヶ池種痘所」」にある、* と、一般にされているようだが、「江戸では幕府の医育機関である医学館が牛痘法に反対の態度を固持し、1849年(嘉永2年)3月に、既得権益を守りたい漢方医らの働きかけから「蘭方医学禁止令」が布達された影響もあり、西洋医学の普及は遅れた。」* と、一見、お玉ヶ池種痘所の敵対勢力でしかなかったかのような幕府の漢方医学館こそが東大医の原点だ、と、私は考えるに至っている。
この漢方医学館は、「松平定信によって、──寛政4年(1792年)正月23日から幕府直轄の医官養成校」として発足した* ものであって、これも、蘭学好きの定信の所信に反して、幕府の低い医学水準維持を図るために、日蓮主義勢力中枢から押し付けられたもので、将軍家の侍医の養成・維持や「古医学書の蒐集・校訂・覆刻につとめ」ること* を旨とし、この、仕える先に迎合し漢文医書を和文に置き換えるだけの学風が、政府に迎合し欧文医書を和文に置き換えるだけの東大医の学風──これは、より薄められた形ではあるものの東大全体の学風でもあると私は考えているところ、ここでは改めては立ち入らない──に受け継がれた、と、見るわけだ。
かかる伝統を踏まえ、北野は、陸軍中枢の意向を過剰忖度してどうしても守らなければならない(と私が思う)一線を踏み外してしまったのではないか、と。
以上、私の言ったことを象徴的に裏付けているのが、日本人のノーベル生理学・医学賞受賞者中、東大卒受賞者はわずか1人──但し、医学部卒ではない!──、に対し、他大学卒受賞者は4人* 、という事実だ。(太田)