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再軍備

コラム#2230(2007.12.12)

 1950年に朝鮮戦争が始まった瞬間に米国は日本を「独立」させる決断を下しています(典拠は省略します)。
 独立戦争をする必要など全くありません。
 米国は爾来一貫して日本が「独立」することを希っているのですから──。
 なお、日本が米国から「独立」するためにも、日本が集団的自衛権を行使できるようにする必要があります。
 日米安保を真の双務条約へと改訂することなく、日本が米国から「独立」することなど不可能だからです。
 現行の日米安保は、宗主国たる米国が日本を一方的に守るという保護条約であることをお忘れなく。


コラム#3157(2009.3.17)

≫日本が米国の属国(保護国)であることを疑問視する声があることが私には信じられません。 その上で、立法論と法解釈論を峻別してものを考えるようにしてくださいね。日米安保条約で日本は保護国となる契約を米国としているのですから、法解釈論として、宗主国米国が保護国の義務を履行するように日本に要求するのは当たり前です。
 他方、日本を「独立」させたい、それに伴い日米安保条約を双務化するなり太平洋版NATOに日本を加盟させたい、という強い希望を立法論として米国が抱いていることもまた事実なのであり、この両者は完全に両立するのです≪(コラム#3155。太田)

 ……米国は米軍出て行ってくれと言われたら、フランス(コラム#3156。未公開)からもフィリピン(典拠省略)からもさっさと引き揚げたし、タジキスタン* からもさっさと引き揚げることでしょう。
 日米安保だって日本が廃棄通告をすれば、米軍はさっさと出て行きますよ。
 自衛隊を増強しろ、集団的自衛権を行使できるようにせよと米国は一貫して日本政府に求め続けてきたわけですが、日本政府が言うとおりにすれば、それこそ日本はいつでも米軍出て行けと言ったり、あるいは安保廃棄を通告したりできるようになるけれど、そんなリスクは織り込み済みで米国はこのような要求をしてきたんです。(太田)


コラム#14603(2024.11.26)

⇒吉田茂が自分の意思で占領軍からの朝鮮戦争への参戦指示を拒否したことはご存じの通りで、彼が挫折したのは、その後の占領中における再軍備についてだった(コラム#省略)わけですが、この再軍備を果たせておれば、日本は主権回復後、先の大戦を遂行した人々が積極的に関わる形で再び日本のかじ取りを再開した筈であり、戦争中の対ベトナム政策に真っ向から背馳するベトナム戦争参戦は拒否していたことでしょう。
 また、吉田の構想では、米軍は日本から完全撤退させられていて、米国は、韓国と台湾を日本の人質にとられた恰好になっていた筈であり、日本のベトナム戦争参戦を強いるような圧力などかけたくてもかけられなかったことでしょうね。
 もちろん、日本の縄文的弥生性は失われなかった可能性が大です。
 いずれにせよ、吉田が再軍備をしなかった、再軍備することを望んでいなかった、ということはありえません。(太田)


コラム#15241(2025.10.10)

 時間がなく太田コラムの全てを読んでいないからかもしれないけど、いまだに吉田茂が、なぜ条文改正(形式的改憲)は無理でも、解釈改憲(実質的改憲)をしなかったのか、また自らの後継者を育てることもできなかったのかが、今ひとつ腑に落ちない。↓

「──・吉田自身が吉田路線の固定化を望んでいなかった以上、改憲・再軍備という本来の道筋に契機を付けるような取り組みを彼はしたのか。特に問題視したいのは、独立回復後、そして首相の座を降りた後の彼の政治姿勢である。吉田は経済中心の外交や軽軍備の路線はあくまで敗戦直後の国力喪失という異常事態における便法と考えていた。そして時が来れば再軍備するのは当然のことと理解していた。また戦後憲法も評価してはいなかった。それはマッカーサーが押し付けたものであり、独立回復後は自主的な憲法を制定することに異論を持っていたわけではない。平和憲法なるものは再軍備に抗い、その抗弁に使い得る好都合な代物に過ぎなかった。
 そして独立の回復によって、正式な再軍備や改憲を為し得る時期が到来したが、吉田はそのような動きを見せず、それどころか改憲再軍備論者に激しく反発、抵抗した。確かに現職の首相として、自らが押し進めた路線や手法を自らが否定して回ることには無理もある。またレイムダック化した政権末期にそのような力は残されていなかったかもしれない。
 だが引退後ともなれば、弟子や後継者、あるいは後継の内閣に対し、再軍備・改憲を促し、支援を為すことは可能だったはずだが、事実は全くの逆であった。吉田は改憲再軍備を説く鳩山の路線やより対等な形になすべく安保条約の改定をめざした岸の取り組みに反対した。自身の内心に近い路線を進めようとする後継者の足を引っ張り、便宜的な自身の政策の固定化に固執したのである。再軍備はまだ早いということだったのか。しかし、独立回復を果たしてなお再軍備が早計という発想は、大日本帝国当時の意識の持ち主としては不自然に過ぎる。
 「講和条約後においてさえ、もし日本が憲法改正をしていたならば、日本は米国の再軍備要求を断るのにより大きな苦労をしたことであろう。そのため日本の経済発展の速度はかなり遅くなっていたかもしれない」(高坂正堯『宰相吉田茂』)と吉田の判断を是とする向きもある。だが、経済成長の速度が国家の基本をなす憲法の問題よりも重要だとは思えない。」
* (※)

⇒旧憲法下での主権者として新憲法への非武装条項導入を命じたのも、また、この新憲法の成立後、憲法に違反して米軍の日本駐留を米国に直接要請して既成事実化したのも昭和天皇であり、吉田首相は、岳父の牧野伸顕──事実上の最後の元老にして新憲法制定時の首相に吉田を就けた──との関係からしても、昭和天皇、ひいては天皇制、を守るべく、これらの事実が明らかになりかねないような動きはとれなかった──そんなことをすれば、昭和天皇自身が吉田を詰り、そのことが漏れる虞すらあった!──からこそ、マッカーサーがまだ在任中に、駐留軍命令による憲法改正を画策したものの、マッカーサーの突然の解任によってその画策が無に帰した、という経緯があり、だからこそ、昭和天皇への抗議の意を込めて旧安保への署名を一人だけで行ったものの、1952年の日本の主権回復後、1954年に首相を下番するまでの間も、180度手のひらを返すようなことは、上記経緯にも照らし、できなかったということ。(コラム#省略)

吉田は改憲再軍備を説く鳩山の路線やより対等な形になすべく安保条約の改定をめざした岸の取り組みに反対した。

 これ↑については、※は、主権回復前ないしは吉田の首相在任中の話としており、彼の首相下番後の話ではないことに注意。
 なお、吉田にも大きな過失はあったのであり、朝鮮戦争勃発時のマッカサーによる再軍備命令に彼は従うべきだったのであって、この千載一遇のチャンスを彼が自ら逃してしまったことがそれだ。
 もとより、最大の責任は、主義信条がそうしからしめた昭和天皇、と、この昭和天皇が作った体制を私利私欲のために恒久化した岸信介、の2人にあること(コラム#省略)を、我々は決して忘れてはならない。(太田)


コラム#15391(2025.12.24)

≫<宗主国米国、必死に日本独立を牽制。↓>
 「米国務長官が日本の核武装意欲をけん制、中国との良好な関係維持も強調―仏メディア──・のRFI──・」*  ≪(。太田)

太田コラム的にアメリカは日本の独立を支持する立場だったはずなのに牽制? ……

<太田>

≫脳死「幹部」、集団的自衛権解禁/独立を叫ばずして核武装を叫ぶ。≪(コラム#15381)

と、私は最初から書いており、米国の歴代政権、就中共和党政権は、日本独立を願ってきており、その場合の核武装も必ずしも否としておらず、トランプ政権と雖も、この点に関しては私と同じ思いでいるはずなので、この「幹部」の発言には呆れているだろう。
 しかし、他方で、米国の歴代政権は、私と違って、中共は日本独立に猛反対してきた、と思い込んできている。
 で、トランプ政権の場合だが、中共と経済戦争中であり、それが軍事的緊張に転化し、中共との関係が破綻することは回避したいと考えている。
 だから、現時点では、日本の政権内における日本の独立志向と受け取られかねない言動は牽制せざるをえないわけだ。