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第二次日蓮主義戦争開始

コラム#15215(2025.9.27)

2 節目を通して見た日本史概観
(10)第三次対外戦争開始(第二次日蓮主義戦争開始)

 1860年3月24日(新暦)の桜田門外の変に始まるところ、その経緯は以下の通り。
 太平構想/徳川吉宗誓約/島津斉彬コンセンサス、においては、表記における実戦への着手は、当然、対外的な形で行われる筈だったが、結果的には対内的な形で行われることになってしまった。
 しかも、それは、1858年の安政の大獄の開始と将軍継嗣が徳川家茂になったことを受けた、鹿児島からの島津斉彬による藩兵5,000人を率いた抗議の上洛の形をとる筈であったところ、そのための練兵観覧中の斉彬の発病とその8日後の死去* により、結果としてその着手が1860年の桜田門外の変によることとなったものだ。
 以上が、第二次日蓮主義戦争遂行指導者達の認識であったと思われ、だからこそ、「桜田門外の変襲撃者──らは──靖国神社へ合祀されている」* わけだ。
 (対外的な形での表記への着手は、これも予想外の出来事ながら、1862年9月14日の生麦事件だろう。これが、翌年の1863年8月15日~17日の薩英戦争──薩摩藩(日)対英──をもたらす。*
 なお、その間の1863年6月25日~に下関事件──長州藩(日)対米仏──が、その後の1864年9月5日~9月18日に四国艦隊下関砲撃事件──長州藩(日)対英仏蘭米──が、併せて下関戦争* が起こっている。
 先の大戦の最終局面において、日本が宣戦布告──事実上の宣戦布告を含む──する諸国が、この時点で早くも「正しく」揃い踏みで登場していることは、象徴的であること以上の意味があり、──相互の休戦期間が長かっただけだということ!──興味深い。)