日蓮
コラム#12537(2022.1.28)
法華経が、厩戸皇子(聖徳太子コンセンサス)→最澄→日蓮(日蓮主義)、を繋いでるんだよ。
当時、名前がなかった「人間(じんかん)主義」を体現している経典が法華経だ、と、彼らは思ったのよね。↓
「──日本書紀に太子ゆかりの地として登場しない滋賀になぜ太子信仰が根強いのか。解くカギは「平安時代初期に滋賀で生まれ、日本天台宗を開いた、最澄にある」──
最澄は奈良仏教(東大寺)から独立を図り、当時新興だった天台宗を開き比叡山延暦寺(大津市)を建立。一方で中国天台宗開祖・智顗(ちぎ)の師、慧慈(えじ)が太子に生まれ変わり日本で仏教を広めたとされ、太子が天台宗の祖という太子信仰の影響力を借りようとしたのだと思います」──」*
↑で、厩戸皇子は、一、安全保障の観点から日本で縄文的弥生人を生み出す方法、と、二、その縄文的弥生人の縄文性維持・回復手段、を見つける、という、聖徳太子コンセンサスを形成し、一については、桓武天皇が桓武天皇構想という方法を確立し、二については栄西が神社環境の日常生活空間への取入れという手段を確立し、日蓮は、増え過ぎた縄文的弥生人に対して武力を用いての世界の人々の人間主義者(縄文人)化というミッションを与えた──法華経に照らせばこのミッションが完遂される過程で縄文的弥生人の縄文性が完全回復し縄文人回帰がなるはずであるところ、日蓮は、もう一つの、というか法華経内在的な縄文性維持・回復手段を「見つけた」とも言える(←この部分は初めて書く)──ってわけ。
コラム#12103(2021.6.26)
[日蓮主義再訪]
始めに
日蓮主義については、既に(コラム#11375で)詳述したところだが、簡単におさらいしておこう。
もとより、いつものことながら、若干、新しいことも付け加えている。
なお、あらかじめ注意しておくが、日蓮主義は思想家日蓮のホンネなのであって、宗教家日蓮や日蓮宗は思想家日蓮のタテマエ(方便)に過ぎず、後出の、例えば、後醍醐天皇や近衛前久や島津義久や織田信長(や豊臣秀吉)は、日蓮主義者ではあっても日蓮宗信徒ではない──義久に至っては日蓮宗弾圧者でさえあった──のは不思議でもなんでもなくむしろ当然だ、という認識を持っていただきたい。
理論(五義/五綱)
教・機・時・国・教法流布、の先後の五義は五綱ともいい、日蓮独自の教判である。教判とは教相判釈の略で、諸経の勝劣を比較検討し、自らの宗旨建立の正当性を示すものをいう。「教機時国抄」「顕謗法抄」「南条兵衛七郎殿御書」などに説かれている。五義は、「顕謗法抄」で「行者、仏法を弘むる用心」といわれるように、仏法弘通のために留意すべき判断基準でもある。一般の教判が主に教理(教)についての判定であるの対し、日蓮が立てたところの、「教」を含む五義(五綱)は教理(教)だけでなく、衆生が教えを受け入れる能力(機根)、時代の特質(時)、その国の国情(国)、それまでに広まっている教え(教法流布の先後)を総合的に判断する基準であるところに特徴がある。
教
一切の宗教の中でどのような教えが人々を幸福へと導く適切な教えであるかを判定すること。日蓮は「五重の相対」(開目抄)、「五重三段」(観心本尊抄)などを通して南無妙法蓮華経こそが末法に弘めるべき教であるとする。
⇒ひたすら人間主義を実践すれば人間主義者になり、また、人間主義者であり続けることができる。(太田)
機
教えを受け止める衆生の宗教的能力(機根)を判断すること。日蓮は末法の衆生は釈尊在世の結縁を持たず、南無妙法蓮華経のみによって成仏できる機根の衆生であるとした。
⇒誰にとっても、それは決してむつかしいことではない。(太田)
時
この時とは仏法上の時であり、今日は従来の仏教では衆生を救済できない第五の五百歳、すなわち末法であると知ることをいう。
⇒仏教を含む既存の全ての宗教・思想・倫理は、人間主義者になるのは容易ではない的な偽りを述べており、無用にして有害だ。(太田)
国
その国の国情を知って仏法を流布することをいう。日蓮は、日本国は法華経に有縁の国であるとした。──」*
⇒全人類の中で、例外的に日本人の大部分は既に人間主義者なのだ。しかし、そのことに安住していてはいけない。実践すべきことが二つ残っている。(太田)
実践論1:人間主義的内政
「当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾(しばらく)も持つべしとはみえねども、故(こ)権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫(しばら)く安穏なるか。 其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。」(『日女御前御返事』より)*
「権太夫とは北条実時(注1)、武蔵前司入道とは泰時のことである。」*
(注1)1224~1276年。「1234年──に出家した父から小侍所別当を移譲される。若年を理由に反対の声があったが、執権泰時はそれを押さえて実時を起用した。その頃、泰時の子時氏・時実が相次いで早世し、泰時の嫡孫北条経時が得宗家の家督を継ぐ事になっており、泰時は経時の側近として同年齢の実時の育成を図ったのである。泰時は2人に対し「両人相互に水魚の思いを成さるべし」と言い含めていた(『吾妻鏡』)。以後3度にわたって同職を務める。
4代執権北条経時、5代北条時頼政権における側近として引付衆を務め、──1253年──には評定衆を務める。──1264年──には得宗家外戚の安達泰盛と共に越訴頭人となり幕政に関わり、8代執権の北条時宗を補佐し、寄合衆にも加わった。
文永の役の翌──1275年──には政務を引退し、六浦荘金沢(現在の横浜市金沢区)に在住。蔵書を集めて金沢文庫を創設する。──
文化人としても知られ、明経道の清原教隆に師事して法制や漢籍など学問を学び、舅の政村からは和歌など王朝文化を学ぶ。源光行・親行父子が校訂した河内本『源氏物語』の注釈書を編纂する。また、実子実政にあてた訓戒状も知られる。」*「日蓮は蒙古襲来を深く受け止め、その意味を思索した。その結論を記したのが文永の役の翌年建治元年(1275年)に著した「撰時抄」である。そこでは、蒙古襲来は日本国が行者を迫害する故に諸天善神が日本国を罰した結果であるとする。──
「闘諍堅固の時、日本国の王臣と並びに万民等が、仏の御使いとして南無妙法蓮華経を流布せんとするを、あるいは罵詈し、あるいは悪口し、あるいは流罪し、あるいは打擲し、弟子・眷属等を種々の難にあわする人々、いかでか安穏にては候べき。(中略)蒙古のせめも、またかくのごとくなるべし」──
一方で日蓮は、蒙古襲来などの戦乱の危機は日本に妙法が流布する契機となると述べている。──
「いまにしもみよ、大蒙古国、数万艘の兵船をうかべて日本をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経』と唱え、掌を合わせて『たすけ給え、日蓮の御房、日蓮の御房』とさけび候わんずるにや」──
「撰時抄」で日蓮は「時」を中心に仏教史を論じ、末法は釈尊の「白法」が隠没し、それに代わって南無妙法蓮華経の「大白法」が流布する時代であるとする。──
「かの白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、その国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱うるがごとく、広宣流布せさせ給うべきなり」──
すなわち日蓮の弘通する南無妙法蓮華経は従来の仏教を超越した教であることを明確にしている。」* 前掲
⇒実践すべきことのその一は、日本において、十全なる人間主義的内政、すなわち仁政、を実現することであり、そのためには、まず戦乱を撲滅しなければならない。(太田)
実践論2:人間主義普及外政
日蓮は、外からの脅威は今後とも続くと考えていた。
この脅威に対処するためには武力の行使も許されるとも。↓
「弘安の役に際し戦地に動員されることになっていた在家門下・曾谷教信に対し、日蓮は「感涙押え難し。何れの代にか対面を遂げんや。ただ一心に霊山浄土を期せらる可きか。たとい身は此の難に値うとも心は仏心に同じ。今生は修羅道に交わるとも後生は必ず仏国に居せん」と、教信の苦衷を汲み取りながら後生の成仏は間違いないと励ましている。
弘安の役は、前回の文永の役とともに、日蓮による他国侵逼難の予言の正しさを証明する事件だったが、日蓮は門下に対して蒙古襲来について広く語るべきではないと厳しく戒めた。再度の蒙古襲来とその失敗を知った日蓮は、台風がもたらした一時的な僥倖に浮かれる世間の傾向に反し、蒙古襲来の危機は今後も続いているとの危機意識を強く持っていた。」(上掲)具体的には、日蓮は、外からの脅威はその根底から絶たなければならないとし、そのためには必要に応じ武力行使も躊躇してはならないとし、この壮図に、縄文的弥生人のみならず、人間主義者(縄文人)も、できる限り参画すべきだと主張した。(とりわけ、下掲の「三」に注目。)↓
「蒙古からの国書が届き、予言の一つが的中した際、日蓮は幕府に次の4点の処遇を期待しています。
一、国からの褒章、二、存命中の大師号の授与、三、軍議への招聘、四、敵国退治の祈祷の要請です。大師の称号は、智顗は存命中に受けていますが、最澄に贈られたのは死後のことでした。日蓮は、伝教大師を超える厚遇で自分を国師として迎えるべきだ、と主張しているのです。」(コラム#11375)
⇒実践すべきことのその二は、日本で十全な仁政が実現されたならば、今度は、日本に対する外からの脅威を根絶するために、外の世界においても十全な仁政を実現させるべく、外の世界に対して武力行使を辞さない干渉を行うことによって、また、場合によっては更にこの外の世界の全部または一部を暫定的に日本の統制下に置くことによって、この外の世界の人々に人間主義を実践させることを強いて彼らを人間主義者たらしめるべく努力することだ。(太田)
コラム#13290(2023.2.7)
……「国を挙げて世界に人間主義の回復/普及させる」にあたって、方便(手段)として、個々人が自分の命を犠牲にしたりすることはもとより、(テロやクーデタや内乱、等で)自国民の誰かや(国による暗殺や戦闘、等で)他国民の誰かを犠牲に供することは、必要悪として、当然認められてしかるべきだからです。──